日本代表リベロとして活躍する小川智大(おがわ ともひろ)選手。
正確なレシーブと安定した守備力で、チームのピンチを何度も救ってきた存在です。
身長は176cmとバレーボール選手としては小柄ながら、鋭い反応と高い判断力で数々の強豪国と渡り合っています。
そんな小川選手がどのように成長してきたのか、その学歴や学生時代のエピソードを通して振り返ります。
小川智大の出身中学校はどこ?
小川智大選手は、神奈川県横浜市立万騎が原中学校の出身です。
中学時代はリベロのほか、セッターやアウトサイドヒッターなど複数のポジションを経験。
中学2年生のときには関東大会に出場するなど、早くから実力を発揮していました。
その後、JOC(全国都道府県対抗中学大会)選抜選手に選ばれたことをきっかけに、本格的にリベロとしての道を歩み始めます。
川崎橘高校での活躍
高校は、全国大会常連の強豪校である川崎橘高校に進学。
高校1〜2年時はリベロとして活躍し、3年時にはツーセッター兼アウトサイドヒッターも務めるなど、複数ポジションで存在感を発揮しました。
高校2年のときには、全日本ジュニアオールスタードリームマッチにリベロとして出場。
この大会でのプレーが、明治大学バレー部の岡崎吉輝監督の目に留まります。
「彼となら、バレー界の常識を覆せるチームが作れる」と感じた岡崎監督が、小川選手にオファーを出したといいます。
当時、小川選手には関東1部リーグからのオファーはまだ届いておらず、この明大からの声が進路決定の大きなきっかけとなりました。
明治大学バレー部時代の実績と評価
小川智大選手は、全国大会上位常連校の明治大学に進学。
1年時には当時の主将・瀧野頼太選手(リベロ)から統率力やコートマネジメント力を学び、大きな刺激を受けたといいます。
「それまで自分がやってきたのは、子どものバレーだったと痛感した1年だった」と語るほど、大学バレーのレベルの高さと真剣さを体感。
2年時からはリベロとしてスタメンに定着し、超人的なレシーブでたびたびチームの危機を救いました。
- 3年時:「秋季リーグ戦」でリベロ賞を初受賞
- 4年時:「アジアカップ」でベストリベロ賞を獲得
- 4年時:インカレでは惜しくも優勝は逃したものの、3位入賞の結果を残しました
キャプテンも務めた大学4年間で、小川選手は「大学ナンバーワンリベロ」と評される存在へと成長。
日本代表へのステップとなる、実りある学生生活だったことがわかります。
小川智大選手のプロフィールについてはこちらにまとめてありますので、ぜひご覧ください。
まとめ
- 中学:JOC選抜でリベロに本格転向
- 高校:全国常連校で活躍し、ドリームマッチ出場
- 大学:リベロ賞・アジアカップ表彰・主将経験など多彩な実績
学生時代にさまざまなポジションを経験したこと、そして強豪校での競争の中で磨かれた精神力と守備力こそが、現在の日本代表リベロ・小川智大を支えているのでしょう。
これからのさらなる活躍にも目が離せません!
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