男子バレーボール日本代表に初選出された、デ アルマス アライン選手。
圧倒的な身体能力と力強いプレーで注目を集める一方、「日本での学生時代はどう過ごしたの?」と経歴に興味を持つファンも多い選手です。
この記事では、アライン選手の学歴・出身高校や日本での学生時代のエピソード、代表選出までの経歴をご紹介します。
デ アルマス アラインの学歴まとめ
- 出身中学:キューバ国内(詳細非公開)
- 出身高校:都城東高等学校(宮崎県)
- 大学:進学せず、高校卒業後にサントリーサンバーズ大阪へ入団
デ アルマス アラインのバレー経歴|キューバ時代から日本来日まで
アライン選手がバレーボールを始めたのは10歳のとき。
祖母に「学校でスポーツをして疲れてから帰ってきなさい」と言われたことがきっかけでした。小学校ではハンドボール・陸上・バレーボールの3つから選べる環境にあり、バレーボールを選びました。
中学からは県の強化選手に選ばれてスポーツの学校へ進み、朝練・午後授業という生活を3年間送りながら、全国大会を3年間ずっと優勝という輝かしい成績を残しました。
キューバU-16代表にも選出され、同世代でトップクラスの選手へと成長します。
都城東高校時代の活躍|創部3年目でインターハイ出場を果たした理由
来日のきっかけは、都城東高校で体育教師として働いていたキューバ人のマウリセ先生の誘いでした。
キューバのU-18では身長が比較的小柄で出場機会が限られていたこともあり、「日本に行ったほうが可能性が広がる」と決断。
2017年に単身来日し、日本で1年生から高校生活をスタートしました。
体育館に行って合流した部員はわずか5人。
試合も組めず練習も形にならない状態でしたが、「どうすればチームが成り立つか」を即座に考えて前に進みました。
来日当初は日本語が全くわからず苦労しましたが、毎日個人向けの日本語授業を受け、チームメイトとの交流を通じて少しずつ習得していきました。
コートの上では規格外の存在感を放ち、対戦した同学年の甲斐孝太郎選手(現サントリーサンバーズ)は「高校生離れした馬力とジャンプ力。AJ(アライン)1人に負けた」と振り返るほどでした。
そして2019年、創部わずか3年目・5人でスタートしたチームが宮崎県高校総体を勝ち抜き、都城東高校として初のインターハイ出場という快挙を達成しました。
国体予選でも活躍
高校2年時には国体宮崎県選抜に選ばれ、都城工業が主体のチームとともに国体予選に出場。
九州ブロック予選では惜しくも敗退しましたが、当時まだ日本語がほとんど話せない中でも、コーチのマウリセとともに全力でチームのために戦いました。
サントリーサンバーズ大阪でのプロキャリア|入団1年目の苦労と成長
高校卒業後、サントリーサンバーズ大阪から声がかかり入団を決断。
日本語や漢字の難しさも考慮し、大学進学よりプロの道を選びました。
入団1年目はVリーグ規定により試合出場ができず、ホームゲームでは一人サブコートで練習するという苦しい時期を過ごしました。
それでも腐ることなく練習を積み重ね、2年目にVリーグデビューを果たします。
その後はチームの主力として急成長。2023年の世界クラブ選手権では日本男子クラブ史上初となる3位獲得に貢献し、世界に「AJ(アライン)」の名を轟かせました。
日本国籍取得から日本代表に選ばれるまで
2024年2月、念願の日本国籍を取得。
FIVBの規定による待機期間を経て、2026年度の日本代表登録メンバーに初選出されました。
「代表に行きたい。有名になりたいとかそういうことじゃなく、ただ代表で試合に出たいだけ」——その言葉の重みは、5人でスタートした無名校での3年間を知るとなおさら伝わってきます。
まとめ
今回は、デ アルマス アライン選手の学歴・出身高校・経歴をご紹介しました。
部員5人の無名校でバレーをスタートさせ、初のインターハイ出場という快挙を成し遂げ、プロの舞台でも着実に実力をつけて日本代表の座をつかんだ軌跡は、まさに「チャレンジ以外は選ばない」という生き方そのものです。
今後の活躍にも注目です。



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